MAYVoice within
Elegantな生き方のすすめ。
何を言うかは 知性
何を言わないかは 品性
どう伝えるかは 人間性
知識は書物から学べるもの。
知恵は経験からしか身に着けることが出来ないもの。
「知性が感じられる人」とは、間違いなく後者を身に着けている人だろう。
また、品性についても考えてみた。
世界を見た時に、”自分の思いを臆することなく表現する外国人”と”遠慮がちで思っていることを言わない日本人”と表されることが多いように思う。
ただ、日本人が思っていることを全て言わないのには、この「品性」が大きく影響を与えているのではないかと私は考えている。
自信がなかったり我慢をしているという事でなく、奥ゆかしく「利他」であるという事だ。
この心は日本人が大切にしてきたもののように思う。
では、外国では「品性」をどのように表現しているのか?と考え調べてみた。
品や品格は「taste(テイスト)」と記され、その意味は「審美眼・判断力・品・センス」だというではないか。上品であるという英語は「elegant(エレガント)」。優雅で魅力的、内面からにじみでる品の良さ。つまり、外国語から「品性」について考えてみると、
「どういった言動、行動、在り方が美しいかという審美眼を持っており、何を言うか言わないかという判断力を備えて、そのバランス(センス)が取れていて、優雅であるということ。」
おお…!まさに、世界的に共通する大切な心なのだ。
そして間違いなく世界の調和への最大のヒントだと思う。
自分という存在の「個」にこだわりすぎると「利己」が高まる。
日本では特に個を犠牲にしてきた背景から、戦後「個性尊重」教育も進んだように思う。確かに、自己犠牲感が強くなりがちな私たちにとっては大切な時代だっただろう。
しかし、大切にされてきた日本文化である「品性」がこれからの世を調和に導いていくとしたら。今こそまさにこれらを思い出していく時ではないか。
世界的に「自分勝手な利己心」を抑える時がきている。
自分という存在を尊重し、しっかりと表現していくことと、自分本位に生きることは同義ではない。
人の目を気にすることと、人の気配を感じる事、つまり「人に気を配る、思いを馳せる」こともまた同義ではない。
この世に「知性・品性・人間性」を意識し生きる人がもっと増えたら。
真の「利己」を強めて超え、溢れ出た「利他」の心が広がったら。
間違いなく気高い魂そのものの在り方、実にelegantな世の中になっていくだろう。